sakaname’s blog

日頃のランニングやサイクリング、トレーニングをメインに、今読んでる本の事など綴ります。

#196 クロストレーニング

私が「クロストレーニング」という言葉を定義すると、「いろいろやってみること」になる。試行錯誤しながら、他の分野にも手を出す。思わぬ発見があったり、打開策につながったりする。discover。

この言葉を初めて聞いてから、既に35年近くが経つ。当時はトレーニング=身体トレーニングと思っていたし、トライアスロンをやり始めた時期と重なることから、トライアスロンのトレーニングのためにも、このクロストレーニングの概念を知りたくて、本を探した。買って来て読んだのがこれ↓↓

クロストレーニング

クロストレーニン

購入先は、初めてアメリカに遠征した時のボストンの本屋さん。

 

トライアスロン自体が新しいスポーツカテゴリーで、これに出場する人たちは、フルマラソン完走後の新たなチャレンジ・挑戦の場を求めるランナーが多くいたように思う。あくまでも完走を目的に参加する選手の比率が高く、競技力向上のためのトレーニング方法は、まだ確立されていない時代だった。とりあえず3キロくらい続けて泳げて、サイクリング100キロくらい乗れて、フルマラソンを走れるようにすること。とにかく長い時間運動を続けられるだけの持久力を向上させるのが、それまでのトレーニングの中心であった。(と思う)

この本を手に入れたことで、水をはじめとする補給物のことや、種目ごとの組み合わせのこと、ストレッチ、筋トレ、バイクメンテナンス、運動強度設定からレースでの作戦的なことまで、トライアスロンレーニングのほぼ全てが書かれていて、正に「バイブル」として活用した。

 

トライアスロンを始めるずっと以前から、クロストレーニングと言っても良いようなことは、ずっと続けていたから、クロストレーニングの概念はすんなり理解できたし、活用できたのだと思う。

サーキットトレーニング

サーキットトレーニン

遡れば、中学生の頃から高校生にかけて、体を鍛える目的の中に、↑↑サーキットトレーニングやファルトレクトレーニング、マラニックからランニング登山、LSD、インターバル走など、いろいろ採り入れつつ、種目は水泳、自転車、ランニング、ウェイトトレーニングと組み合わせ。クロストレーニングの集積みたいなことはやっていた。計画を立てて目的に向かうのが面白く、かつ楽しかった。上手くいかない時に、上手くなるには「どうするか」を考えて、方法や手段を模索する。それをやりながら、手応えを感じたことは「続ける」と、ある時いきなり変わることがある。その瞬間を超えると、いままでのできていなかったことが嘘のように、出来るようになったりする。「体」を使った遊びの面白さは、ここにあるかと思う。

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#195 トランスオーストラリアフットレース:Day66

【オーストラリア横断日記】

 

2001年 3月12日(月)晴れ Canberra

 Day66

 

荷物整理。だいぶ物を捨てた。Aki・井上を空港まで送る。

レースを終えて-1

レースを終えて-1

レースを終えて-2

レースを終えて-2

レース後の荷物整理-1

レース後の荷物整理-1

レース後の荷物整理-2

レース後の荷物整理-2

レース後の荷物整理中、集まってきた仲間たちと

レース後の荷物整理中、集まってきた仲間たちと

レース後の荷物整理中、集まってきた仲間たちと-2

レース後の荷物整理中、集まってきた仲間たちと-2

朝、Kruglikovが走っていた。彼に休みはない。

 

Davidたちと朝ごはん、とても美味しいパンケーキのお店。

このお店が地下にあり、階段を下りている時にバランスを崩して尻もちついた。

(松葉杖使っていたので)

その時、左手をついてかばったためか、左手に力が入らなくなった。

せっかく杖1本にしても、歩けるくらいに、脚の痛みが引いてきていたのに。

後日、日本で診てもらったら、「左橈骨骨折」だった。骨がスカスカになっていたみたい。今まで、骨折したことがなかったのに、終日のハードな走りで、ミネラル流失が激しかったのだと思う。

 

オーストラリアでは、今日は祝日。どこもかしこもお店は閉まっている。

カンタス航空の営業所も閉まっていた。デイビッドにお願いして、航空券の変更を電話で行う。帰りの日にちの変更、明日にしてもらい、Canberra→Sidneyのチケット購入も同時予約。何から何まで、お世話になりっぱなし。

 

中部国際空港へは、金ちゃんが迎えに来てくれる。

レンタカーの返却を済ませる。

 

今回フィニッシュできなかったことで、今まで気付かなかった様々なことを知った。

その一つ、「レースを日常と切り離すことで集中力を高める」今までは、そういう風にしていた。

いつもは温厚に穏やかに生活し、ひとたびレースになると競争心発揮、そんな感覚でやってきた。今回、強く思ったのは、そうではなくて、いつもの日常生活そのままにレースに集中すること。

頭で(考えて)走るのではなく、心で(感じて)走ること。それが、日常そのままの「走り」ではないかな。

そこへ到達すると、さらに走ることが楽しくなるような気がする。上手く言えないけれど。

 

とにかく、あのまま3位でゴールしていたら、こんな転機は訪れなかったので、これは「必然」なんだと思う。正に「けがの功名」

 

<The End>

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#194 トランスオーストラリアフットレース:Day65

【オーストラリア横断日記】

 

2001年 3月11日(日)晴れ 

Michelogo~Canberra

 Day65 45km

 

最終日、今日もBig Georgeのサポート。

コンペティションは45km。

1位のKruglikovは、最後までスピード衰えず。

井上さんは自転車で全体のサポートに。

最終日のスタート前、新聞掲載の記事を見ている

最終日のスタート前、新聞掲載の記事を見ている

最後の最後で走れなくなったけれど、みんなの応援は、ありがたかったです

最後の最後で走れなくなったけれど、みんなの応援は、ありがたかったです

レースが全て終わり、表彰式へと向かう。

完走した各ランナーの紹介と、順位の発表。

名前を呼ばれたランナーが、設置された檀上に上がって行く。

檀上に促されて。

檀上に促されて。

檀上で主催者のBurneyに励まされて

檀上で主催者のBurneyに励まされて

何故か、完走を逃した僕も最後に呼ばれて、檀上に上がる。

そこで15位のガラス製の盾をもらう。だいぶ悔しいが、主催者Burneyたちの親切心・真心は伝わった。

完走したランナーの、一人一人と檀上で握手。

スピーチは泣けて、何を話したか思い出せない。が、大会への感謝は、伝えられたと思う。

檀上の末席に

檀上の末席に

表彰式の檀上

表彰式の檀上

 

夜は、BBQパーティー。Aussie$10。

 

これで、お終い。

 

トランスオーストラリアフットレースの話しは、これで終わります。

次回は、翌日のことと、思うことを書いて、この日記を終了します。

 

<続く>

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#193 トランスオーストラリアフットレース:Day64

【オーストラリア横断日記】

 

2001年 3月10日(土)曇り・晴れ 

Cooma~Michelogo

 Day64

 

レースは、今日を入れて残り2日間になった。

終日、Big Georgeのサポートクルー、といっても松葉杖がないと歩けないから、

サポートクルーというより応援。

Georgeのサポート?応援

Georgeのサポート?応援

Georgeのサポート

Georgeのサポート

この大会を紹介してくれて、主催者側との様々な交渉にあたってくれた、Aki・井上さんと合流。

大会のゴールに合わせて日本から来てくれたのですが、まさかのリタイアで「ごめんなさい」

井上さん(純日本人です)が、サポートクルーの由紀さんとの仲介に入ってくれたおかげで、このレースに参加できたと言っても過言ではない。

 

そんな井上さん、初めて会ったのは、アメリカ大陸横断自転車レースのレース中でした。

1995年、当時アメリカのミズーリ州在住だった井上さんは、ウルトラマラソンサイクリング協会(長距離サイクリングの全米の団体:UMCA)の日本人メンバー2人のうちの1人で(もう1人は僕)、日本人初挑戦のRAAM(アメリカ大陸横断自転車レース)の観戦兼応援?で、レースルート上に来ていました。場所はアーカンソー州の東端、丁度ミシシッピ河を渡る橋の手前辺り、綿花畑の道路脇です。ミシシッピ河を渡ると、テネシー州に入り、大都市メンフィスという所です。

 

道路脇で、その地域には珍しい東洋人が、ビデオカメラを構えていたのが初対面。スタート前に応援メッセージをもらっていたので、直ぐに井上さんだってことに、ピンっと気づきました。彼自身も長距離サイクリングやウルトラマラソンをやっているので、意気投合。

この時以降、RAAMのクルーをしてもらったり、いろんなレースでサポートクルーをしてもらっています。

だいぶ後のことになりますが、ウエスタンステーツ100(100マイルのトレイルラン)の時は、後半のペーサーをお願いした事もあります。

 

本日の宿は、CanberraのRidgesホテル。

夜には、MelbourneからDavidが合流し、みんなで晩ごはん。

不破さん・市川さん・井上さん・由紀さん・Davidと僕。

みんなゴールするところを見に集まってくれたの、残念。

 

<続く>

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#192 トランスオーストラリアフットレース:Day63

【オーストラリア横断日記】

 

2001年 3月9日(金)小雨・曇り・晴れ 

Candelo~Cooma

 Day63 

 

自分が走らないと、ステージの距離、ルート、ゴール地点など、どうでも良くなっている。やっぱ自分勝手だということに、今さら気づいた。

 

朝は、ステファニーと同じ4時に起きて、ボーっとしていた。

脚の痛みは、ずーっと続いていて、脛のところが腫れて、熱っぽい。

朝食に、パンを焼いて食べた。ゆっくりと、トーストを食べるのは久しぶり。

伸びていた髭を剃り落とす。

 

由紀さんが起きてきてから、荷物整理。

不破さん、市川さんも一緒になり、10時頃Coomaへ向けて出発。

Nimmitabelの町で、ミートパイを買って食べた。

オーストラリアに来てから、良くミートパイを食べた。

 

今日のステージは山岳コース、道幅が狭い。

その途中区間で工事をしており、危険を避けるため、その区間はカット。

分割した変則ステージになった。ゴール地点はCooma。

今日から応援に。トップ独走、Krugrikov

今日から応援に。トップ独走、Krugrikov

一人一人と握手、ドイツチームの2人

一人一人と握手、ドイツチームの2人

みんなの応援、Big Georgeと抱擁

みんなの応援、Big Georgeと抱擁

Big Georgeからは、沢山学んだ

Big Georgeからは、沢山学んだ

Coomaは標高が高く涼しい。近隣にスキー場があるリゾートエリア。

その関連のロッジ、ホテルが多い町。

Coomaの町でAndreiと

Coomaの町でAndreiと

Coomaの病院で診察。レントゲン検査、計5枚を撮影した。

結果は、「異状なし」。これだけ腫れて痛いのに、そんなわけないだろ!

お医者さん曰く、「疲労骨折はレントゲン検査ではわからないから、CTスキャンで検査するように。但し、ここにその設備はないから、キャンベラの病院宛に紹介状を書きます」ということで、紹介状を書いてもらった。

でも、週末はキャンベラの病院は休みのため、最短でも月曜日にしか行けない。

なので、日本に帰ってから検査しようと思う。

Coomaの病院でギブス固定中-1

Coomaの病院でギブス固定中-1

Coomaの病院でギブス固定中-2

Coomaの病院でギブス固定中-2

*補足①(実際に日本に帰国後、名東ホスピタルで診てもらったが、レントゲン検査だけで充分診断ができて、「右脛骨の疲労骨折」だった)

*補足②(その時、なんでこんなになったかの事情を話したら、「そのままあと一日でも走っていたら、粉砕骨折していましたよ」とお医者さんに言われた。)

*補足③(レントゲン写真を見せてもらったが、確かにらせん状に亀裂が入っていた。)

Coomaの病院

Coomaの病院

Coomaの病院での処置は、ギプス固定。それが重くて鬱陶しいので、ロッジに着いてから、即、外した。

で、ロッジに置いてきた。治療費Aussie$100。

(ギプス固定をしてくれた先生と、翌日の晩、キャンベラのホテルで偶然会った。ギプスしてなくて気まずかった。)

 

晩ごはんにレバーパイというのを食べた。

不破さん達が来てから、由紀さんの仕事が何倍にも増えてしまった。

(いろいろ手がかかる)

応援に来てくれて有難いことだけれど、もしレースを続けていたら、結構大変だったと思う。

 

夜になり、脚の痛みが疼き出した。痛み止め薬を飲む。

 

<続く>

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#191 トランスオーストラリアフットレース:Day62

【オーストラリア横断日記】

 

2001年 3月8日(木)小雨・曇り・晴れ 

Wolumla~Candelo

 Day62 

ステージ距離:16.6km/総距離:4104.0km タイム4:21:51 

15位(タイムオーバー)

 

カットオフタイムに届かず失格になった。

1時間に5.6km進むのが各ステージのカットオフタイムのルール。今日だとおよそ3時間以内、それを大幅に越えてしまった。

 

予定が大きく変わり、スタート時刻6時が12時に、距離は16,6kmになった。

Jessie達が、今日のコースの下見をしていた時に、地元のポリスから警告されたらしい。狭い道が曲がりくねっていて、暗い時間帯にそこを走るのは危険だから、という理由らしい。あくまでも「らしい」で、真偽のほどはわからない。

 

ともかくスタート時間の変更は有り難い。距離の短縮も有り難い。少し休養できた。

6時スタートに合わせて、いつも通り4時半に起きたが、その時は杖無しで立ち上がることができなかった。

 

ひとまず寝る。

 

11時にEdenを出発、車でWolumlaまで30kmの移動。

ひょっとしたら僕を救済するための、予定変更?と考えられなくもない。

 

霧雨降る中、12時にスタート。

松葉杖を用意してもらい、それを使って動き出す。当然、すぐに一人ぽっちになる。

今日はビル(元々、カビーカのサポートクルー、ハワイから来ている)が、一緒に歩いてくれることになった。

 

スタートして最初の丘の上で、どうにも身動きとれなくなり、リタイアを決意。

いくら杖で補助しても、右脚脛の激痛は消せない。

 

しばらく道端でしゃがみ込み泣いた。けれど、今日のステージは終わらせないと。

スタートした以上、ゴールまで行かねばならない。

 

制限時間を気にせず歩き出す。

松葉杖は止めて、昨日拾った木の杖を突きつつ、ゆっくり進む。

1kmごとに、ビルと由紀さんが交代して歩いてくれた。

この杖が助けてくれた。

この杖が、助けてくれた。握るところにタオルと靴下巻き付けて、クッションにしてある。

いろんな話をしながら、一歩一歩前に進む。

辺りは牧場で、蝿が多いのが鬱陶しいが、風景は素晴らしい。

「脚が自由に動いたら、もっと良いのに」今はどうにもならない。

時々、痛みがすっと消えることがあり、そんな時は少しペースを上げる。でも、どうやっても1時間に5.6km進む(カットオフタイムの基準)ことが出来ない。

 

Candeloの町に入ったところで、杖を由紀さんに渡した。

最後は自分の脚だけでゴールしたかったから、ここまで無理させた「自らの脚」への敬意。ゴール地点には、既に誰もいない、寂しいフィニッシュ。

 

歩道と車道の段差を、ごく普通に越えて歩いている人を見て、それが今の自分にはできない。あの「普通」に歩ける脚が、今あるなら、残り3日間くらいどうにでもなるのにな。

 

近くのシャワーがあるところで、Big Georgeに会った。

「もう走れない」と話した。力強く抱きしめてくれた。

涙が止まらない。

 

Bumblebrook Farm Motelに、ステファニーとシェアして泊まる。

牧場の中のコテージ、キッチン付きのとても良い部屋。

ランナーのままで、泊まりたかった。

 

ブライアン達がディナーを作ってくれた。みんなの気遣いが身に染みて嬉しい。

 

19時半~のABCニュースで、この大会のことが放映されていた。

 

日本から応援に来てくれた、不破さん、市川さんと合流する。

わざわざ来てもらったのに、こんな形で会うのは残念で仕方がない。

 

もし、ペースを落としてゆっくり走っていたら完走出来ただろうか?

3位をかけて勝負する必要があっただろうか?

亡くなったBrian Smithは、「フィニッシュするのが、一番だ」と言っていたけれど、やっぱりそうだろうか?

いろんな想いが交錯する中、これが結果だから、これで良いと思う。

 

明日、病院で診察してもらおう。

 

<続く>

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#190 トランスオーストラリアフットレース:Day61

【オーストラリア横断日記】

 

2001年 3月7日(水)曇り・晴れ 

Cann Riverから15km~Edenまで15kmくらい

 Day61 

ステージ距離:80.0km?/総距離:4087.4km 

タイム13:40:?(誤って消去) 15位

 

記録を取るどころではなく、距離も?(80kmより長い)タイムも?消去してしまう。

 

スタートから45kmくらいまでは、昨日より良い感じで進む。歩くよりも、ジョグ中心で行けた。

朝起きた時は、右脚を床に着くのすら苦しかったのに。

1時間に7km弱、5kmを43分くらいかけて順調に進む。

森の中の静かな道、ジョージア州を思い出した。レース終盤というロケーションも同じ。明け方、犬かディンゴか、獣の遠吠えがこだまする深遠な森。

 

Genowaの町を過ぎて、上り坂のピーク辺りから、急に右膝がカクっとなって力が入らない。歩くのもできなくなった。道端にあった手ごろな木を杖にして、それを支えに前進する。スタートから約7時間経過していた。

*偶然道端にあった木の枝が、杖に丁度いい形だった。持ち手(握り)のところが手にしっくりくるし、その長さが僕の背丈にピッタリ、この時「神」の存在を確信した。そして身近に感じた。

(写真参照)

 

由紀さんが状態を見かねて、「5分休みましょう」と言ってくれた。

これまで走ることに関しては、ほぼ自分のペースに任せてくれていたが、よっぽど苦しそうに見えたんだと思う。少し先のレストエリアまで粘って、休憩した。

そこは、ニューサウスウェールズ州(NSW)とヴィクトリア州(VIC)の州境。

椅子に座って、アイシング。ミートパイのランチ。痛み止めの薬を飲んで、杖を頼りに出発。一度止まってしまうと、そこから動き出すのが苦痛で、しばらくは激痛に耐えながらちょっとずつ動く。

右膝に氷嚢を縛り付けて歩く

右膝に氷嚢を縛り付けて歩く

今日のステージ後半35kmは、杖を支えにほぼ歩き。

フィニッシュ地点が近づいて、ブライアン、ドン、カビーカ、ジェシー、ジョンに助けられゴール。暗くなりつつあるゴールにたどり着けた。

立っている左から、ブライアン、ジョン、ドン座ってる左からジェシー、僕そしてカビーカ

立っている左から、ブライアン、ジョン、ドン。
座ってる左からジェシー、僕そしてカビーカ

 

今日のステージはフィニッシュ出来た。

今日のステージはフィニッシュ出来た。

その後、右脚(膝から下)を動かすこともできず。

ジェシーに抱きかかえられて、カレンのところへ治療に向かう。

脛の骨の異常みたい。

 

EdenのMotelに泊まる。チャイニーズレストランのテイクアウトをかき込んで寝る。

 

<続く>

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櫻井要のオーストラリア横断日記