【オーストラリア横断日記】
2001年 3月8日(木)小雨・曇り・晴れ
Wolumla~Candelo
Day62
ステージ距離:16.6km/総距離:4104.0km タイム4:21:51
15位(タイムオーバー)
カットオフタイムに届かず失格になった。
1時間に5.6km進むのが各ステージのカットオフタイムのルール。今日だとおよそ3時間以内、それを大幅に越えてしまった。
予定が大きく変わり、スタート時刻6時が12時に、距離は16,6kmになった。
Jessie達が、今日のコースの下見をしていた時に、地元のポリスから警告されたらしい。狭い道が曲がりくねっていて、暗い時間帯にそこを走るのは危険だから、という理由らしい。あくまでも「らしい」で、真偽のほどはわからない。
ともかくスタート時間の変更は有り難い。距離の短縮も有り難い。少し休養できた。
6時スタートに合わせて、いつも通り4時半に起きたが、その時は杖無しで立ち上がることができなかった。
ひとまず寝る。
11時にEdenを出発、車でWolumlaまで30kmの移動。
ひょっとしたら僕を救済するための、予定変更?と考えられなくもない。
霧雨降る中、12時にスタート。
松葉杖を用意してもらい、それを使って動き出す。当然、すぐに一人ぽっちになる。
今日はビル(元々、カビーカのサポートクルー、ハワイから来ている)が、一緒に歩いてくれることになった。
スタートして最初の丘の上で、どうにも身動きとれなくなり、リタイアを決意。
いくら杖で補助しても、右脚脛の激痛は消せない。
しばらく道端でしゃがみ込み泣いた。けれど、今日のステージは終わらせないと。
スタートした以上、ゴールまで行かねばならない。
制限時間を気にせず歩き出す。
松葉杖は止めて、昨日拾った木の杖を突きつつ、ゆっくり進む。
1kmごとに、ビルと由紀さんが交代して歩いてくれた。
いろんな話をしながら、一歩一歩前に進む。
辺りは牧場で、蝿が多いのが鬱陶しいが、風景は素晴らしい。
「脚が自由に動いたら、もっと良いのに」今はどうにもならない。
時々、痛みがすっと消えることがあり、そんな時は少しペースを上げる。でも、どうやっても1時間に5.6km進む(カットオフタイムの基準)ことが出来ない。
Candeloの町に入ったところで、杖を由紀さんに渡した。
最後は自分の脚だけでゴールしたかったから、ここまで無理させた「自らの脚」への敬意。ゴール地点には、既に誰もいない、寂しいフィニッシュ。
歩道と車道の段差を、ごく普通に越えて歩いている人を見て、それが今の自分にはできない。あの「普通」に歩ける脚が、今あるなら、残り3日間くらいどうにでもなるのにな。
近くのシャワーがあるところで、Big Georgeに会った。
「もう走れない」と話した。力強く抱きしめてくれた。
涙が止まらない。
Bumblebrook Farm Motelに、ステファニーとシェアして泊まる。
牧場の中のコテージ、キッチン付きのとても良い部屋。
ランナーのままで、泊まりたかった。
ブライアン達がディナーを作ってくれた。みんなの気遣いが身に染みて嬉しい。
19時半~のABCニュースで、この大会のことが放映されていた。
日本から応援に来てくれた、不破さん、市川さんと合流する。
わざわざ来てもらったのに、こんな形で会うのは残念で仕方がない。
もし、ペースを落としてゆっくり走っていたら完走出来ただろうか?
3位をかけて勝負する必要があっただろうか?
亡くなったBrian Smithは、「フィニッシュするのが、一番だ」と言っていたけれど、やっぱりそうだろうか?
いろんな想いが交錯する中、これが結果だから、これで良いと思う。
明日、病院で診察してもらおう。
<続く>