sakaname’s blog

日頃のランニングやサイクリング、トレーニングをメインに、今読んでる本の事など綴ります。

#225 再びレースアクロスアメリカへ

今年2026年、6月16日にスタートするRAAM(レースアクロスアメリカ:アメリカ大陸横断自転車レース)に、サポートクルーとして参加します。そこで振り返りを兼ねて、思うところを綴ります。当時の写真(過去の投稿と重複すること有り)を交えての振り返り。

 

RAAMに初めて出たのは、1995年。一応全行程4660kmを走破しましたが、トップフィニッシャーから48時間以内のゴールという公認記録:オフィシャルフィニッシャーにはなれず、悔しい思いをしての走破でした。その時の自分に何が足りないのか、痛切に実感し、翌年1996年の再挑戦を決意します。

 

<ここからは写真で綴る1996年RAAM>

1996.RAAM サポートクルーとして母が帯同

還暦を迎えた母が前年に続きサポートクルーとして帯同、主に食事担当してくれました。このハードなレースに、60歳の母が付いて行けるのか心配なところもありましたが、おにぎり作ってくれたり、クルー間の緩衝役になったり、活躍してもらえました。おにぎりが大きくて、自転車に乗りながら食べるには息が苦しかったけれど、大変助けられました。その母も今年90歳になります。まさか30年後に自分がクルーで参加すとは思いもしませんでした。

 

 

コールマンのツーバーナーで調理中

1996年はRV(キャンピングカー)を使わなかったので、このように路上で調理してました。

 

 

スタートは全員一斉で、パレード走行から

カリフォルニア州アーバインのホリデーインの駐車場から全員が一斉にスタート。郊外の公園までパレード走行です。ビアンキはホーガン選手、女性のトップライダーです。

 

 

噴霧器がシャワー代わり

写真中央の農薬散布用噴霧器はシャワー代わりに使ったり、前半の砂漠地帯で氷水入れて冷却用にも使ってました。走行中、ひんやりとするのが一瞬のオアシスに。仮眠前に汗を流して着替え、90分寝て走り出します。

*続く

2026年RAAMへ挑戦する落合さん、クラファンよろしくお願いいたします↓↓

]https://youtube.com/shorts/w-AVLkbDWVY?si=bczQRMEbuVpsWjx5

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#224 口腔体操

近所のお年寄り向け体操教室、今回は口腔体操をやりました。

食べ物の入り口、空気の出入り口としての口腔は、生命の入り口とも言えます。

体作りのトレーニングとは趣きが違うところでもありますが、大事なことなので説明交えて、小一時間の実践。パタカラ体操、実際にデーサービスでやっている方がいて、なんか盛り上がってました。

お年寄りに限らず、やると良いです!

#口腔体操 #櫻整体院

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#223 ワラーチ作製と実走会vol.47

冬の寒い時期は参加者少なく、開催せずにいましたが、3月になり再開しました。わざわざ大垣市から名古屋までお越し頂き、ありがとうございました。ランニング歴30年のベテラン、ワラーチ作製から試走まで楽しんでもらえました。f:id:sakaname:20260314112240j:image

足型取りからスタート。

来月4月は第2週の土曜日11日の開催を予定してます。

#ワラーチ作製 #ワラーチランニング #櫻整体院

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#222 オーストラリア横断マラソンのおやつ

時々食べたくなるオーストラリアのチョコクッキー「TimTam」。2001年のオーストラリア横断マラソンで知りました。一日のステージを終えてのおやつは、これかキャドバリーのミルクチョコレートか、ミートパイか。翌日に繋がる至福の時、日本でも手に入るのが嬉しいです!

コーヒーと共にいただきます。

TimTamダーク

TimTamダーク

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#221 トレイルランニング-1

 トレイルランニングの中でも、距離100マイルの大会はステータスが高く、目標にしているトレラン好きの方は多いと思います。私は現在までに100マイルトレランに3回出ていて、やはりとても魅力的で楽しかったので、そのことについて少し書いてみます。といっても随分前のことなので、何か参考になることがあるかはわかりませんが。

 100マイルのトレイルランニングに初めて出たのは、1998年のエンジェルスクレスト100というカリフォルニア州の大会でした。この大会には2000年にもう一回出ています。そしてウエスタンステーツ100に一回、合わせて3回です。

 出場にあたり、まずは100マイル=160kmを実際に走っておきたかったので、当時、東京の学芸大学のキャンパス内で行われていた24時間走にエントリーしました。それまで本格的なウルトラマラソンの経験はなかったから。

 1997年のレースアクロスアメリカの後、自転車からは一旦離れてランニング主体の活動に変えようと思っていました。そんな折、アメリカ在住のアキ・イノウエさんから、100マイルのトレイルランニングの話しを聞かされて、次のターゲットは「これだ!」と直感。アメリカでは著明な100マイルトレランの4つの大会を、その年度内に全て完走することで、「グランドスラム」という称号が得られるのを知って、そこを目指しても面白いかなと思っていました。

 ウルトラマラソンの経験はほとんどないところからの挑戦でしたが、山の中を走るトレランに関しては、トライアスロンの練習の一環でやっていました。その時に参考にしていた本がありました。「ランニング登山」(下嶋 溪 著)という本です。これも「ゆっくり走れば速くなる」と同様、私のバイブルです。今手に入るかわかりませんが、1986年発行とおよそ40年前のことなのに、今読み返しても参考になることがとても多いです。

ランニング登山

ランニング登山

ランニング登山84・85ページ

ランニング登山84・85ページ

当面、消費者としては本質を見きわめ、自分のクセ、使用目的、フィーリング(これが重要)に合ったものを選択するしかない。

ランニング登山85ページから引用

 この一文は、最適なランニングシューズとは?というランナーの迷い点をついていて大変面白いと思います。この著者がワラーチを知っていたら、おそらく試していただろうと、勝手に妄想しています。

 学芸大24時間走では、200km超えたところで止めました。22時間くらい?まだ時間が残っていましたが、この後、東京から名古屋へ新幹線で帰るのに、ちょっとしんどいと思ったので、早めに切り上げました。学芸大の最寄り駅(国分寺か国立)の近くで立ち食いうどんを食べて、東京駅まで中央線で向かいました。初めての200km超えの走りは、新幹線に乗るところまでは良かったのですが、名古屋に着いて座席から立ち上がる時に一苦労しました。そして翌日の朝刊配達は、体が固まってしまいきつかったです。ウルトラマラソン、なめてました・・・

<続きは、また>

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#220 レースアクロスアメリカへの道筋-3

<レースアクロスアメリカへの道筋-2>からの続き

高校時代の陸上部の話しから。

 陸上部では1500mを中心にしていたが、成績は支部大会の予選落ち程度で、まるっきり振るわなかった。というか、自転車のトレーニングのために走っていたから、心肺機能の向上が出来ればOK。鉄アレイの筋トレや、サーキットトレーニング、縄跳びなど、自分でトレーニングプログラムを作成するので、その類の本はかなり揃えて勉強した。

 高校時代は、陸上部の部活をしつつ、自転車に乗るのはもっぱらサイクリングで、どちらかというと旅の要素が強く、レースに出ることはなかった。2年生の夏休みに北海道へサイクリングに行ったことが、その後の自分の活動に大きく影響する。北海道の主に南側半分くらいを2週間で周り、宿泊は全てユースホステル利用で荷物を少なくし、今で言うところのファーストラン。その途上の新冠ユースホステル掲示板で何気なく見た「牧場バイト」の案内。それが高校卒業後の進路に繋がっていく。シンボリ牧場で働くことになるとは、その時は想像もしていなかった。ともあれ、この北海道自転車旅が日本一周自転車旅の起点になったのは間違いない。

 シンボリ牧場で働くことになったいきさつは、またの機会にして、日本一周のさわりのところを簡単に。

 日本一周する時に、27インチタイヤのキャンピング仕様自転車をオーダーメイドで作ったのは、前述のサイクルスポーツ誌掲載、デイビッド氏の記事から始まっている。東叡社の水色のキャンピング自転車、荷物を載せるキャリアも特注で、前後左右に四つのパニアバック(これも当時主流の帆布製では無く、デュポン製ケブラー繊維の軽量バックをチョイス)、荷物を満載にすると30kgくらいにはなっていた。時には、お米や日本酒の一升瓶を荷台に括り付け、生活用具一式、テントや寝袋も持って、旅していた。国道と舗装路中心ではあったが、舗装してないオフロードも平気で走っていた。(今流行りのグラベルってこんな感じ?)それでも、日に100kmを下回ることは、ほぼ無かった。期間にして一年半、旅の途中、北海道で酪農牧場の住み込みバイト、沖縄でサトウキビ刈りの住み込みバイトをしつつ、次は世界一周だなって漠然と思っていた。途中で出会う、僕と似たようなサイクリストの多くは、海外志向だったし、自分ももっと大きなフィールドに出てみたかった。

サトウキビ刈りは、沖縄県小浜島でやった。そこの製糖工場の寄宿舎に寝泊まりして、担当のサトウキビ畑に出勤する毎日、2月から3月にかけての1か月半程の季節労働者。製糖工場の食堂で朝晩の食事、お昼はサトウキビ畑の農家の人(大久 文三さんという方で、小浜島で1番目か2番目の規模の農家)が、お弁当持って来てくれる。夜は毎晩泡盛で酒盛り、食堂のご飯は台湾人のおばちゃんが作っていた。いつもテーブルに置いてある、特製肉味噌が美味く、それだけで何膳もご飯おかわり。そんな日々に、たまの休日があって、その日は、繫華街のある石垣島へ渡った。サトウキビ刈りの寄宿舎仲間(ほとんどが旅人)からの情報で、メームイ製菓っていうところのチーズケーキが美味しいということで、ホールで買って食べて、小浜島へ戻る船までの待ち時間に、本屋で立ち読み。サイクリングの雑誌「月刊サイクルスポーツ」をパラパラと見ていたら、その中の記事に皆生トライアスロンのことが載っていた。この時は漠然と「チャレンジングなレースだな」くらいの気持ちで見ていた。ちょうど同じ時期に、宮古島、琵琶湖でもトライアスロンなるものが始まっていくのだが、自転車部門がやたら長い距離なのと、集団走行が禁止の個人タイムトライアルっていうところに惹きつけられた。後に競技としての自転車に進んでいくわけだが、当時、全日本クラスのエリート大会は別として、僕が出られるような一般向けの大抵の市民自転車レースは、距離が30kmくらいで、ゴールスプリントの力が試されるものばかり。それと集団で走るレースがほとんどでタイムトライアルは、トラック競技しか見つけられなかった。いつかは、一度くらいは、トライアスロンやってみたいと、ほんのちょっと思った。

(日本一周の時のことは、日記から抜粋しつつ、いずれまとめる予定。)

 

 日本一周の旅から帰り、旅の途中で出会った友人の幾人かは、世界に向けて旅立って行った。

 僕は、通りすがりの旅人でいることは、自分の進む道とはなんか違う気がして、根差していないというか、本質のところで、人との繋がりが浅いと思い始めていた。海外に行くにしても、腰を据えてひとところにいる方向へ、考え方が変わっていく。それがインドだった。これも偶然から。旅の途中、仙台で道中庵ユースホステルってところに泊まった時、同宿の男の人(山羊みたいなあごひげの人だった)の話、「インドに行くならヒンディー語を話さないとね」の一言が、頭の中にこびりつく。ヒンディー語はどこで覚えたら良いのか、探した。いくつかの選択肢のうち、東京外国語大学は入るのに受験勉強がいるので時間がかかる。最速で習得出来るのは、三鷹のアジア・アフリカ語学院一択。2年間履修のインド語科に入学し、再び学生になった。インド語科の入学生は5人だけ。他の中国語科とか、実用のあるところは10人以上いた。22歳になっていた僕は、将来はインドで何かやろうと、まじめに(1年目皆勤賞もらった)通った。渋谷の実家に住んでいたので、井の頭線で吉祥寺まで出てバスに乗り継いで通った。この2年間の学生期間にトライアスロンを始めることになる。それで、練習兼ねてロードバイクで通学したり、時にはランニングで20kmを通学ランしたり、帰りに高井戸の温水プールに寄って泳いだりし始める。卒業した高校が港区の田町にあったことから、その近所の港区スポーツセンターにトレーニングのためによく通っていた。ここは体育館の観覧席の周囲を回る1周180mのランニングコースがあり、LSDにはもってこいだったし、温水プールや筋トレのジムまで揃っていて、回数券を使って頻繫に利用していた。その土地勘があったからか、港区スポーツセンターの近くの居酒屋「うつみ」で長い間アルバイトさせてもらい、活動資金を貯めていく。トライアスロンのトレーニングしつつ、語学勉強もするという、今思うと、休む間もなく良く動いていた。ある一日を例にあげると、朝はランニングで学校へ約20km、昼過ぎに授業が終わり、帰りはバスと電車で田町へ。プールで泳いでから夕方6時から居酒屋でバイト。夜11時に帰宅。場合によっては帰ってから近所を走る。その頃のトップトライアスリートの一人、アメリカのスコット・モリーナのインタビュー記事「夜、バーで働いた後の夜中だろうが、納得行くまでランニングトレーニングをした。強くなりたい一心で」こんなような内容を覚えていて、それが励みになっていた。バイトが終わった後、23時半頃から走った時、スコット・モリーナと同化していた。

 

 インド語科でヒンディー語を学び、今後の進路を考える2年生時の夏休みに初めて海外へ行った。行先はアメリカ。目的はトライアスロンの大会出場。1カ月ほどの滞在中にバイク・ランのデュアスロン(その当時はバイアスロンと言った)1レース、トライアスロン2レースに出場。当時の国内メジャー大会(特に宮古島と琵琶湖)は、経験者でないと出るのが難しく、「出してもらえないのにどうやって経験積むんだ」と何とも言いようのない中途半端な環境にあった。トライアスロンアメリカが発祥の地、その本場アメリカでレースに出るのも有りかなと考え、情報収集に奔走。今ならインターネットでその場で検索だが、当時(1986年)は海外の雑誌しか思い当たる情報源がなく、早速本屋さんへ向かう。その頃住んでいた渋谷には、三省堂と大盛堂、紀伊国屋書店という大型書店があり、海外の雑誌を扱っていることは知っていた。その中の大盛堂(西武デパートの向かいにあった)はマニアックな雑誌も多く、関連するものを含め「トライアスロン」「トライアスリート」「ウルトラスポーツ」「アウトサイドマガジン」を購入、確か1冊1500円~2000円くらいしたと思う。レース情報からいくつかの大会をピックアップして、手紙でエントリー用紙を取り寄せた。きちんと返送してくれた(返信用切手は入れていたか覚えていない)大会パンフレットは、見ているだけで夢が膨らむ。その中で最も興味を惹かれたのが、「アラバマダブルアイアンマン」ハワイのアイアンマンの2倍の距離を走るレース。しかもスイムは海じゃなくて沼?池?のよう。いつか出てみたいレースの一つになった。(結局出ることはなかったが)

夏休み期間中で、バス移動可能な範囲で、いくつか候補を上げて、最終的に選んだのが、東海岸バーモント州「スティーマントライアスロン」(ハーフアイアンマン)、カナダモントリオールのバイク80km+ラン20kmのバイアスロンマサチューセッツ州ケープコッド「ケープコッドエンデュランストライアスロン」(アイアンマンディスタンス)。この3大会。トライアスロンが盛んに行われていたのは、カリフォルニア州サンディエゴ辺りの西海岸だったが、日程と大会の距離からこの3つに決めた。アイアンマンディスタンス(*トライアスロン発祥の地ハワイアイアンマンの距離:スイム3.9km・バイク180.2km・ラン42.195km)の大会にどうしても出たかったので、ケープコッドの大会を基点に計画、決定した。とは言え1カ月あまりの期間に過密なスケジュールだし、そもそもそれまでにトライアスロンの経験は、指宿トライアスロン大会(オリンピックディスタンスS1.5km・B40km・R10km、その頃でいうショート)しかないのに、やれると確信していた。妙な自信は、初レースの指宿での感覚由来。とっても偉そうに言うと、周りの経験者たちが凄い人たちと思っていたのに、案外そうでもなかったから。スイムでは出遅れたけど、バイクとランは追い抜くばかり、結果が9位。これなら俺行ける!と感じていた。

とは言っても、自転車はともかく、正式にフルマラソンを走ったことはなく(日本一周の途中、利尻島一周完歩53km?をほぼ走って4時間台で回った経験はあった)、スイムの4kmは未知の世界で、計画的な練習が必要だった。まずフルマラソン大会にエントリー(つくばマラソン)、高井戸スイミングに入会、柏バイアスロンにもエントリーした。語学院での勉強も有り、毎日充実した日々を送る。

ゆっくり走れば速くなる

ゆっくり走れば速くなる

トライアスロンを本格的に始めた頃のバイブル。後のマフェトン理論に通じるものがある。

<続く>

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#219 レースアクロスアメリカへの道筋-2

<レースアクロスアメリカへの道筋-1>からの続き

道筋-2

「ロードレースの走法」まだ持っていた!

ロードレースの走法

ロードレースの走法

 この本は、自転車のプロショップ「ベロウ」で買ったような気がする。

 ヨーロッパのプロロードレーサーになるために、手掛かりを探していた。何でプロにこだわったかというと、そればっかりずっとやっていられると単純に考えていたから。当時日本のロードマンでは、宮田自転車所属の森幸春選手が有名で、それでもプロではなかったし、日本だとプロになるにはピストの競輪選手しかなかった。ピストじゃなくて、長い距離を乗りたかった。ヨーロッパしかなかった。エディ・メルクス(飛躍し過ぎ)のように。エディ・メルクス選手、ベルギー人で、「人食い人種ハンニバル」があだ名。冬場にトラックで6日間レースとか、アワーレコードとか、オールマイティに強かった。

 

 高校受験も学力とか偏差値が基準じゃなかった。その高校に自転車競技部があるかどうかで受験した。その第一候補の法政二高に合格して入学金まで収めた。ここでもう一つの選択肢、自転車に関わる仕事としてメカニックになることも考えていた。自転車競技に関わりつつ海外へ行くのも良いな、くらいな感じで。メカニックの技術向上のため工業高校へ進学という道。これは東京工業大学付属高校という一択、相当難しいから受からないだろうと思っていたし、実際の試験問題(特に数学)は時間足りないし、難しいし、まず合格はないだろうと思っていた。それが、なぜか補欠で合格。結局こっちに入学することになった。ここには自転車競技部は無いが、自転車のトレーニングの一環として、陸上部に入った。水泳部とどっちにするか迷ったが、水泳の練習には馴染みがなく、陸上のほうがとっつきやすいということで。(既にトライアスロンへの暗示ではあった。)

 高校の部活は厳しいものを想像していたが、この学校の部活はかなり緩く、しかも人数が少なくて、2年生になったらいきなり部長になってしまった。それを良いことに、自分の欲しいトレーニング資材を予算要求したり、トレーニングメニューも全て自分で考えたり、好きにやることができた。先輩後輩の関係性がとても希薄な高校時代の部活動を経験した。

<続く>

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櫻井要のオーストラリア横断日記