sakaname’s blog

日頃のランニングやサイクリング、トレーニングをメインに、今読んでる本の事など綴ります。

#69 木版画②

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木版画・木戸口加代子さん・段戸山の風景

ランニング&ビーフフェスタin段戸山の参加賞、Tシャツの図案に使わせて頂きます木戸口加代子さんの木版画。Tシャツの図案にするにあたり、この木版画を購入しました。中央の建物は、竹内牧場の初めの「小屋」だと言っていました。駒ヶ原高原の開拓の歴史を、モノトーンの木版画で表現しています。

三河地域の様々な場面を、このような木版画で表現する作家さんですが、木版画を刷るのに体力がいるのに、それだけの体力がなくなってきた今は、新たに刷るのが難しいと話されていました。

 

木版画を刷る技を、教わりに行こうと思っています。木戸口さんに直接教わり、多くの人に、奥三河の「良いところ」「史実」「そこに住む人・暮らし」を木版画を通じて知ってもらおうと考えています。技の習得は、簡単ではないでしょうが、挑戦してみます。

 

ランニング&ビーフフェスタin段戸山に参加すると、この図案のTシャツを手に入れることができます。今から楽しみです!

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#68 砂糖きび

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砂糖きび畑

19歳の時、自転車で日本一周の途上、冬は暖かい沖縄にいました。那覇のある沖縄本島より、さらに南の八重山諸島石垣島とか西表島)にしばらく滞在し、サトウキビ刈りのバイトを2カ月くらいやっていました。場所は、小浜島石垣島から船で渡ります。その当時「はいむるぶし」というヤマハのリゾート施設があった島です。今も営業しているのかは、わかりません。

 

島の製糖工場に宿舎があり、工場で働く人も、畑に出る人も、そこへ泊っていました。

どちらも季節労働者で、工場の仕事は宮古島からの漁師さんが多くいました。その宮古島ですが、「沖縄県で最も犯罪率が高い」とか「気が荒い」とかいう噂を聞き、実際にその時も酒(泡盛)に酔った1人が、手にタオルを巻きつけて宿舎の窓ガラスをたたき割る事件がありました。たまたまの偶然なのかは、わかりません。

一方の畑仕事(キビ狩り)は、地元の農家の人と、僕のような旅の途中の旅人、元は旅人だったであろうヒッピー風の人などで構成されていました。

その他に、宿舎併設の食堂の賄いの人は、台湾人のおばちゃんでした。「玉龍」というカーフェリーが九州の福岡から沖縄本島奄美にも寄港していた?)、宮古島石垣島を経由して、台湾の基隆まで就航していた頃の話です。「玉龍」は船内にゴキブリが良く出るので、僕らの間では、「ごきりゅう」と呼んでいました。便利な船便だったので廃止されて残念です。台湾のおばちゃんたちは、とても気さくな人たちで、妙に元気で親切にしてもらいました。肉味噌、青さ汁、ポーク缶と卵の焼いたもの、あとは各種チャンプルー料理。ご飯はおかわり自由だったので、肉味噌だけでも十分幸せな食卓です。それに海苔の佃煮の瓶もありました。夜食用に(工場は24時間稼働だったと思います)インスタントラーメンが置いて有り、それも自由に食べられました。銘柄は「うまかっちゃん」九州博多のらーめんです。

 

サトウキビ刈りは、一日働いて日当4,000円。

キビ狩りの始まる日の前日(か二日前)に、働き手が必要な大きなキビ畑を持っている農家の人たちが、一同公民館に集まりくじ引きをして、そのくじの結果、僕たち労働者は、行き先の農家が決まる仕組みでした。僕は大久(ダイクと読みます)文三さんという小浜島で一番広いキビ畑を所有する人のところで働くことになりました。2月~3月にかけてのこの期間、一家総出で農作業にあたります。大久さんから、畑までの通勤?に使うバイク(スーパーカブ?みたいの)と仕事着のツナギを渡されました。

この時期は、雨季にあたるのか雨の日が多く、ビニールの雨合羽も支給されました。ですが、かなり蒸れるので、ズボンだけ合羽を履いて、上着はTシャツのまま濡れるに任せ、作業することもあったと思います。

仕事の内容は、砂糖きびの株(5~6本の茎、もっと本数多かったかも)を専用の鉈で立ち切って、畝に寝かせて置くことが中心です。その寝かせたキビの葉の部分と、葉が枯れて茶色くなった葉の残骸(皮)を、二股の特製の鎌で取り除く(皮むき)ことを、農家さんがやります。砂糖きびの茎だけになったものが、畝上に置かれていきます。それをまとめて担いで、道路端へ運ぶのも僕の役割り。ようはハードな肉体労働のところを担当していました。慣れてくると、皮むきのところも手伝いました。

刈り取って皮むきを済ませた砂糖きびを、道路端へ積み上げておくと、頃合いをみてユニック車が来て、キビの束をトラックに積みます。そのまま製糖工場に運ばれて行き、目方に応じて、製糖会社から農家へ代金が支払われていました。

島全体が砂糖きびと製糖工場を主体に回っている感じでした。

 

宿舎では、ほぼ毎晩酒盛りしていました。小浜島はハブのいる島(島によっていないところもある)で、時々砂糖きびの株の根元に出てきました。冬場は動きが遅いので、首根っこを鉈で押さえて捕まえて、肥料袋に入れます。それを製糖工場の敷地内の角に生えていた木に、ぶら下げて保管します。後でまとめて石垣島の業者に売るために。ハブは猛毒を持つ危険な蛇で、熱にも反応するため、肥料袋の上からでも気を抜いて扱うと危ないです。実際、かすった程度に牙が当たった人が腕を腫らせているのも見ました。

大きなハブは良い値段で売れました。小さなハブはその場で皮を剥いて、製糖工場のボイラーに貼り付けておくと、かっぱえびせんのようになり、おつまみにしました。

泡盛はここではこれ↓↓

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石垣島泡盛・請福

ヤシガニやオオコウモリなんかを見たのも、初めてのことでした。

サトウキビ刈りでは、畑一つ(メインの大きな農地)を刈り取って一段落すると、山羊を一頭つぶして山羊汁を作るのが習わし、御馳走になりました。お祝い事の時は山羊汁です。ヨモギを入れて臭みを消しているとはいえ、初めて食べた時は、かなり衝撃的でした。臓物がそのままの形で入っているので。沖縄では(小浜島)牛より山羊のグレードが上です。いろんな風習に触れて、方言とかも聞いて、本土より台湾に近いのかなあ、というのが素直な感想です。

 

一日の畑仕事を終え、海岸線や島の中央への上り下りを走っていました。裸足だったり、自転車に乗っている時のシューズだったり、トライアスロンへの下地はこの辺りから、作られていったようです。

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#67 オーストラリア横断マラソン②

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オーストラリア横断マラソン・2日目のスタート直前

上半身裸だったり、日焼け止め塗りまくりだったり、各自思い思いのスタイルで、2日目のスタート。初日はパレード走行区間が長く、エキシビションとしての位置付けで、今日からが正式なレーススタートです。

写真撮影しているのは、多分誰かのサポートクルーで、大会専任のカメラマンはいませんでした。スロベニアのメディアが同行していたので、情報の大部分はそのスロベニアメディア経由のネット配信でした。

スロベニア人のDusanが出場していた関係です。彼はスロベニアにおけるウルトラマラソン界の英雄(元軍人?らしい)で、同行取材を可能にしたようです。そのお蔭で、日本にいる友人たちも、日々のレース状況を知ることができました。

レースの詳細は↓↓日記に綴りました。

櫻井要のオーストラリア横断日記

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大会主催者側の用意したサポート用のバス・ここで寝泊まりしていたランナーもいました。

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荷物の運搬や、スタッフの移動、寝泊まりにも利用していました。

このバスは、初めからあったわけではなく、いつの頃からか同行するようになりました。大会が推移するに連れて、いろいろと整備されて行きました。まず「行動」そこから学んで「改善」する。といえば聞こえは良いですが、事前の準備はある程度必要かと思います。

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#66 渋谷の家

渋谷の仁愛病院で生まれてから、高校を卒業するまで、ほぼその渋谷に住んでいました。3歳か4歳頃、一時横浜近郊の希望が丘というところに引っ越して、幼稚園時代は神奈川県民でした。幼稚園ですが、通っていたのは「めぐみ幼児園」多分キリスト教系だったと思います。幼稚園は幼稚な子供が行くところだから、幼児だった僕には幼児園が相性良かったです。希望が丘には相鉄(相模鉄道)の駅がありまして、付近は新興住宅地でした。その宅地造成地には、まだ空き地が多く残り、遊ぶにはもってこいの環境でした。田んぼとか、肥溜めとか、原っぱが残っていて、とても良い所でした。小学校に入学する直前に渋谷に戻ります。

 

その渋谷の家、裏にお屋敷(なんとかさん・名前が思い出せない)があり、その家との境の壁はコンクリートで、そこに蔦が茂っていました。僕の家から窓越しに、その生い茂った蔦が青々と見えていました。ある時、その蔦の中に奇妙な虫が蠢いているのを見つけ、それがかなりインパクトのある姿だったので、今でも鮮明に覚えています。それが、これ↓↓

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ビロードスズメの幼虫

この目(実際は擬態で、これは目ではなく模様)と目が合ってしまって、しかもこっちを見つめつつ(目ではないけれど)頭を振り振り、蠢いていて「何なんだ、この生き物は」と気持ち悪かったけれど、昆虫図鑑で調べました。そうしたら「ビロードスズメ」という蛾の幼虫であることがわかりました。

 

こういった強いインパクトは、記憶に深く刻まれるということが良くわかりました。

このような「擬態」とか「変態」とか、昆虫の能力は計り知れないものを感じさせます。子供の頃の昆虫好きは、こういった超能力的なところにひかれたのだと思います。

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#65 オーストラリア横断マラソン①

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2001年1月6日・オーストラリア横断マラソンスタートの日の朝、ホテルの駐車場にて。レンタカーのバジェットのバン。

オーストラリア横断マラソンのスタート地点は、ウェスタンオーストラリア州のパース。ここから首都キャンベラまで66日間のステージが始まりました。

 

大会主催者側で用意してくれるはずだったレンタカーは、結局自分たちで用意することになりました。5足もらえるはずだったスポンサーのBrooksのランニングシューズは、1足とりあえずもらえただけ。いろんな手違いや、準備不足が有りつつも、開催することが出来たのは、オーガナイザーのバーニー・ファーマー氏とその相棒のジェシー氏に「熱意」があったからでしょう。見切り発車ではあったと思いますが、やってみないとわからないことは、ままあります。大会期間中は、僕や、他のランナー達に不満の声が沢山ありました。が、二人の「熱意」と「勇気」なければ体験出来なかった、多くのことに、今は大変感謝しています。そのレースの1日目、スタート風景↓↓

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オーストラリア横断マラソン・スタート直前、腕組み姿の私(上)

スタートして走りだしたところ。メディア向けに全員お揃いのユニホーム(下)

66日間の長い旅の始まり!

 

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オーストラリア横断マラソン・オウム

ゲージに入った飼われているオウム(コバタン?)

これの野生のが沢山いました。飼ってみたい鳥の一つ。鳴き声がけたたましい。

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#64 祖父のこと

父方の祖父の話です。母方の祖父は早くに亡くなってしまい、遺影でしか知らない。母方の祖母は104歳まで長生きしましたが。

櫻井家の祖父は、要吉といいまして、その「要」の字をもらったのが僕です。

その祖父は、脳溢血を患ってしまい半身麻痺になりました。今みたいにバリアフリーなんて、その言葉すらなかったから、生活すること自体が大変だったと思います。それで、お茶を入れたりとか、身の回りのことを手伝っていました。物静かな人でしたが、今思うと、話すのに言葉が上手く出てこなかったから、かもしれません。そんな祖父ですが、喘息持ちだったらしく、夜とかに咳き込みだすと、なかなか咳が止まらなく、苦しそうにしていました。傍から見ていて、自分も苦しくなるような咳き込み方です。それで枕元にはいつも浅田飴の缶が置いてありました。話が一旦飛びます。

 

渋谷の家は、明治通りからほんのわずかのところでした。ですが、その当時は僕の家の周りには、似たような木造の古くてボロい家は、まだまだ多かったです。

ずっとその家で過ごしてきた、祖父母や父方の兄弟姉妹にとっては「ボロい」とはなんだ!って話ですが、その世代の次の世代の僕には「ボロい」家がしっくりきます。例えば、夜になると雨戸を閉めていましたが、雨戸の内側に戸があったという記憶がなく、網戸の記憶もないんです。雨戸の内側に縁側の廊下があり、その廊下と居間との間に障子戸がありました。これは良く覚えています。つまり外と内との境目が、密閉されていない住まいでした。夏は、そのために蚊が多く、本当に小さい頃は「蚊帳」を吊っていました。蚊取り線香が夏の必需品でした。ここで話を祖父のところに戻します。

 

咳き込むのにも関わらず、必ず蚊取り線香を焚いていた祖父に、矛盾を感じていました。「その咳は、きっと蚊取り線香の煙のせいに違いない」と思っていた僕は、時々、こっそりと線香の火を消していました。苦しそうに咳き込むくらいなら、蚊に刺されるほうがましだと思ったからです。

 

そんな、どうでもいいような話を、思い出したので綴ってみました。<終わり>

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#63 草食

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柿の葉、ハルジョオン、ネギなど、植物系メインの天ぷら

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彩り鮮やかなサラダ

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アブラチャン、豚肉との炒め物に

アブラチャンはクロモジ科、クロモジは元々爪楊枝として使っていた、殺菌効果のある木。香りの強い植物です。炒めると山椒に近い味。豚の油と相性が良い。

 

春は、筍を始め、旬のエグ味のある物を取る季節。体のデトックスに草食!

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櫻井要のオーストラリア横断日記