sakaname’s blog

日頃のランニングやサイクリング、トレーニングをメインに、今読んでる本の事など綴ります。

#55 初めての海外-5

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ケープコッド「エンデューランス・トライアスロン」1986年

アイアンマンディスタンスの初完走、11時間18分43秒!

初めての海外遠征の最終レースは、初めてのアイアンマンディスタンスのトライアスロン、そして初完走できました。そのレース顛末を少し紹介。

 

スイム3.9kmは、冷たい大西洋の海の中、2時間18分かかりました。タイムリミットが2時間30分だったから、結構やばかった・・・なんでそんなにかかったか、泳力の問題が一番大きいにしてもかかり過ぎです。言い訳の一つ、目印のブイが少なかったから。通常は100m間隔くらいには、大きめの、円錐形の、オレンジ色の、目立つブイが設置されているものですが、それが少なかった。陸上から海面に浮かぶブイを見ると、よく見えているので問題ないように感じますが、実際泳ぎながらヘッドアップしてブイの確認をするのは、それなりにテクニックが必要です。そういう泳ぎ方の練習が足りていませんでした。さらに、この時着けていたゴーグルのレンズカラーがピンクだったので、傍らにいたライフガードの指示「ピンク色のブイを目指せ!」っていう声を聞いても、全部ピンク色に見えて、どれが目指すべきブイか混乱していました。(信じられないことにレースと関係ないブイも浮かんでいた)だいぶ蛇行して泳いでいたようです。(今ならGPS機能付きのウォッチがあるから、泳いだ軌跡を後から追跡できるので、実際の泳いだ距離がわかります)

どうにか制限時間内にスイムを終えて、次のバイクへとトランジション。ほぼ全てのバイクは出て行った後の、ガラガラのバイク置き場から、スタート。前を行く選手を追い抜く毎にカウントしていました。130人くらい追い抜いた後、カウントするのを止めました。抜かれることは無し。スイムで遅れたのが要因とはいえ、抜き去るのばっかりって、かなり楽しい。

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アマンダのロードバイク、通常のドロップハンドル。

スイムパンツのまま自転車に乗っているのに、ソックスは履いているというアンバランス。

続いてのランはフルマラソン。ここもほぼ追い抜く一方でした。バイクとランのタイムは覚えていませんが、トータルで11時間18分43秒でした。順位も覚えていません。「あっ、終わった。終わってしまった」それがその時の感じ。終わった安心感・安堵感と、まだこのままレースの雰囲気に浸っていたい欲張りな気持ち、その両方がまぜこぜになり、得も言われぬ充実感を味わいました。(これ以降、こんな感覚は、何回も出場したハワイアイアンマンでもなかった。この時に近い感覚はレースアクロスアメリカのゴールまでなかった)

ゴールした後の、チキンスープがやたらに美味しかったのは、良く覚えています。日が暮れ始める中、暖かい飲み物が、体も心も暖かく包み込んでくれるように。(ただの塩分不足かもしれません)

 

スイムで使ったウエットスーツやら、バイクシューズやら、レース道具一式をビニール袋に詰めて、5km程離れたユースホステルに戻りました。その後のことは、ほとんど覚えていませんが、翌朝、お腹が空き過ぎて目が覚めたのは、覚えています。

 

ニューヨークシティまではグレイハウンドのバス。

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ニューヨークシティ行きのバスに乗り込む前に。

初めての海外は、こうして無事に終えることができました。

これをきっかけに、プロのトライアスリートへと、道が進みます。

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#54 新聞記事

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1999年RAAM(レースアクロスアメリカ)・新聞掲載記事

過去に出場したレースのVHSビデオテープやら、掲載された記事やら、押入れの奥の段ボール箱から引っ張り出して、仕分け整理。要らないものは廃棄しつつ、1999年のRAAMの記事を見つけたので、紹介します。

朝日新聞に掲載されたのは、1999年7月15日。アメリカへ出発する直前ですね。

4回目のRAAMは、万全を期して挑みました。記事によると「優勝」を目指しているのが驚きです。今、思い返すと、常に目指すところは1番だったので、「優勝」目指している、というコメントは当たり前なんですが。それより先はないから。初めから「参加することに意義が」とか「目標は完走です」とか緩い考えだと、沢山言い訳する余地が出来てしまうので、その目標達成すら危ういと感じています。

結果は6位、記録は自己ベストの9日6時間。この時は精一杯やった結果だから受け入れていましたが、改めて見ると、「9日を切れたのに」という思いが、ふつふつと湧いてきます。

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#53 ZWIFT復活!

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DIRT Friday Ride(C)3日ぶりにZWIFT復活

エラーメッセージが出て、WindowsPCから立ち上がらなかったZWIFTアプリ、ようやく復活しました。こちらの問題ではなく、ZWIFT側のバグだったようです。1週間ぶりのインドアバイク、冷房入れて、扇風機回して、グループ(C)ライド。レースと違い、リカバリーの要素が高く、一汗流せました。

 

うちに帰り、晩ごはんはパスタ。ラクレットチーズと間引き人参をつまみに、白ワインでリラックス。今日はビオワイン↓↓

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フランス産ビオワイン

とってもフルーティー、喉を潤すために氷と炭酸で割って飲んでいます。「普通」とか「慣習」とか「常識」に囚われず、自分の好みの飲み方で楽しんでいます。プライベートは何でもあり!

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ドメーヌ・ロマノ・デストゥゼ/ブラン

飲み過ぎないようには、気を付けています。

 

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#52 初めての海外-5

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ケープコッド「エンデューランス・トライアスロン」の完走メダル

左から1986年・87年・88年、計3回出場。

カナダ・モントリオールから、再びアメリカに戻りました。ニューイングランドの辺りは既に秋の気配が漂う中、今回の遠征の最終レース、ケープコッドの「エンデューランストライアスロン」の会場へと向かいます。グレイハウンドのバスを乗り継いで、バーモント州のホワイトリバー・ジャンクションズシティという町で乗り換え。バスのドライバーのアナウンス「Next stop, White-River junction’s city!」っていう声が妙に頭にこびりついていて、びっくりするぐらい、しっかりと覚えていました。そこで一旦荷物を降ろして乗り継ぎのバス待ち。そこから先の記憶が曖昧で、ボストンに1泊したのがこの年だったか、次の1987年だったか、とにかくどちらかの年にボストンのユースホステルに泊まりました。ボストン美術館へも行っているので、時間に余裕のあった1987年が正解かな。

 

会場はマサチューセッツ州のHyannis、丁度良いところにユースホステルがあり、そこに泊まりました。冷蔵庫や、キッチンを自由に使えるので居心地は良かったです。人のお世話になってここまで来ているので、ようやく自立した感じでした。

 

スイム会場へ行くのも、受付会場へ行くのも、自転車で行ける距離だったのが助かりました。

 

初のアイアンマンディスタンスのトライアスロン出場、海はどんよりしていて、海水温は低くて、ちょっと不安でした。

 

結果は11時間台で完走。その顛末は、また後日。

*続く

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#51 初めての海外-4

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モントリオールバイアスロン・リザルト表紙

ティールマンの後、カナダ・モントリオールへ移動。グレイハウンドのバスに乗り国境越え。Brattleboroのバス乗り場まで、トシコさんに送ってもらいました。ハワードジョンソンというカフェショップに連れて行ってもらい、モーニング(breakfast)コーヒーと、ドーナツかデニッシュか何か(?)食べました。来た時は1人も知り合いがいなくて、心細く歩いて移動していたのが、その日は車で送ってもらえて感謝です。しかも、モントリオールのバスステーションには、お迎えが来てくれる手はずになっていました。トシコさんが、モントリオールの大会主催者フィリップさんに電話してくれてて、日系人協会のつてで、現地滞在中の日本の方を、バスステーションまで寄越してくれることになっていました。さらにその方のアパートに泊めてもらえることにもなっていました。大変親切にしてもらったのに、その日本人の方の名前は忘れてしまいました。

 

カナダへの国境越えは短い時間で終わり、モントリオールまでは、バスの中で寝ていました。

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モントリオールバイアスロン・バイク

大会は80kmの自転車レースから始まります。いきなり集団走行の自転車レース、ハイペースの先頭集団についていましたが、折り返しの辺りでは第3集団くらいに落ちていたと思います。普段単独走行ばかりで、集団走行に慣れていないため、どうしても前走者との間が開いてしまい、ドラフティング効果(風よけ効果)を上手く使えず体力の消耗が激しかったです。途中、後続のライダーの前輪が僕の後輪に接触して落車が発生したようで、なんとなく罪悪感を持ちました。

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モントリオールバイアスロン・ラン、右下に写っています!

バイクフィニッシュが何位くらいかわからないまま、ランへとトランジション、ランは20km。夏とはいえ肌寒く、なかなかペースが上がらない中、全体の15位でゴール。

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モントリオールバイアスロン・リザルト15位に名前が。

スイムがないと、海外の選手に交じっても、そこそこやれることがわかりました。逆に言うと、スイムを鍛え直せばトライアスロンで上位に行けると確信した瞬間かな。

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モントリオールバイアスロン・表彰式にてフィリップさんと。

モントリオールの町は、フランス語圏でちんぷんかんぷん。英語だと書いてあるのを読むのは、辞書使えばある程度わかるけれど、フランス語はちっともわからず。ここでの一番の思い出は、クロワッサン!町のパン屋さんで買ってきたクロワッサンを軽くオーブンで温めたのが、最高に美味しかった。クロワッサンの概念が変わるほど。さすがフランスの食材と思いました。あとアイスクリーム、ホワイトルシアンというフレーバーを初めて食べて、これも美味しかった。僕には嬉しい山盛りのアイスクリーム。

海外でわざわざ日本食を探して食べる気が知れないと、この当時は思っていました。(それは今も思っているから、あんまり変わっていない)

そこの土地のものは、そこで食べるから一番美味しいと思っています。たとえジャンキーフードでも。

 

*さらに続く。

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#50 般若心経

毎日の日課・御勤めとして、お経を唱えています。

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般若心経

ルビが打ってあるので、唱えやすい。内容はわからなくても、唱えていると気持ちが落ち着くのが良いです。

今朝、患者さんの予約が入っていない時に、施術i院で般若心経を唱えていたら、いきなり飛び込みで「今から診てもらえますか?」と来院者。腰を痛めての来院でした。こういったいきなりの来院は、年に数回ほどしかなく、珍しいこと。ほとんどの方は事前に電話予約されてから、訪ねて来ます。

 

偶然は必然!!!

 

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#49 初めての海外-3

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1987年スティールマン結果

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1987年スティールマン新聞記事

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1987年スティールマン新聞記事・リザルト

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1987年スティールマン・ゼッケン№35




Brattleboroの大会事務局で、かなりの時間滞在していました。

トシコさんという日本人の女性(多分60歳くらいの方)が来てくれて、通訳してくれました。ここから10マイルほど離れた隣の町、Putny在住で鍼灸・指圧をやっている方です。トシコさんは、「うちに泊まってもいいけれど、町中の方が便利だから」と大会スタッフの人のうちに泊まる手配をしてくれて、レースが終わるまでの宿泊場所が確保できました。記憶があいまいですが、地元の消防士の方だったと思います。そこに3日間お世話になりました。それが1986年です。

 

グリーンマウンテンスティーマントライアスロンの大会でのことは、あんまり覚えていないのに、前後のいろいろな出来事は結構覚えていて、こうして書くことが出来るのが不思議。

 

レースは、山の中のダム湖で泳ぎました。ウインドサーフィン用のウエットスーツ(ノースリーブ、太ももまでの丈)を着用しましたが、水が冷たかった。スイムは遅かったので、大きく出遅れ。バイクは坂道が多く、峠を含むハードなコース。最後のランも坂道が多く、日本で出た指宿のトライアスロン(唯一のトライアスロン出場大会)の時とは大違い。完走はしましたが、ハワイアイアンマンの選考には当然漏れました。それでも本場のトライアスロンを完走できたことが、とても嬉しかったです。それで来年もこの大会に出たいと強く思いました。その翌年1987年の大会のリザルト↓↓

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1987年スティールマン結果・10位

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1987年スティールマン新聞記事・左下の方に、少しだけ僕のことが掲載されています。

 

この後、カナダ・モントリオールへと遠征が続きます。

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櫻井要のオーストラリア横断日記