Brattleboroの大会事務局で、かなりの時間滞在していました。
トシコさんという日本人の女性(多分60歳くらいの方)が来てくれて、通訳してくれました。ここから10マイルほど離れた隣の町、Putny在住で鍼灸・指圧をやっている方です。トシコさんは、「うちに泊まってもいいけれど、町中の方が便利だから」と大会スタッフの人のうちに泊まる手配をしてくれて、レースが終わるまでの宿泊場所が確保できました。記憶があいまいですが、地元の消防士の方だったと思います。そこに3日間お世話になりました。それが1986年です。
グリーンマウンテンスティールマントライアスロンの大会でのことは、あんまり覚えていないのに、前後のいろいろな出来事は結構覚えていて、こうして書くことが出来るのが不思議。
レースは、山の中のダム湖で泳ぎました。ウインドサーフィン用のウエットスーツ(ノースリーブ、太ももまでの丈)を着用しましたが、水が冷たかった。スイムは遅かったので、大きく出遅れ。バイクは坂道が多く、峠を含むハードなコース。最後のランも坂道が多く、日本で出た指宿のトライアスロン(唯一のトライアスロン出場大会)の時とは大違い。完走はしましたが、ハワイアイアンマンの選考には当然漏れました。それでも本場のトライアスロンを完走できたことが、とても嬉しかったです。それで来年もこの大会に出たいと強く思いました。その翌年1987年の大会のリザルト↓↓
この後、カナダ・モントリオールへと遠征が続きます。