【オーストラリア横断日記】
2001年 2月2日(金) 晴れ
Penong〜Ceduna
Day28
3km No competition
長らく続いたNullarbor平原の最終ステージ、Penong〜Ceduna75km区間スタート。
昨日からの熱波が続き、朝から暑い。スタート直前に水を飲む。
ちょっと脚がだるいため、ゆっくりペースで走り始める。
Mick、Wolfgangと3人前後しながら、最初のエイド3km過ぎて、
そろそろ次のエイドかなってところで、大会スタッフのJhonが車でやって来た。
「Bryan Smithが倒れたから、今日のステージは中止」
と言って、先行するランナーに伝えるため去って行った。
詳しいことは解らず。MickとWolfgangと僕の3人は、どうしようか迷いつつサポートクルーの車が来るのを待つ。待っていたら、ドイツチームのモーターホームが来たので、Bryan Smithが倒れた地点まで乗せていってもらった。
さっきまで元気にしていて、今朝のスタートも一緒に走りだしたBryan。
当初そんなに大きなアクシデントって考えていなかった。
が、その現場に着いての雰囲気から、Bryanが亡くなったことを察知。
急に涙が出て、止まらなくなった。
気持ちを落ち着けるのに、少し時間が欲しかった。
ちょっと間をおいてから、Davidに状況を聞いた。
スタートして3km地点で、急に倒れたらしいこと。
すぐに心肺蘇生の心臓マッサージを施したこと。
救急車到着まで30分(Cedunaから)の間、ずっと心肺蘇生を試みていたこと。
救急車到着時には、既に心肺停止だったこと。
心臓発作による突然死だろうというのが、みんなの意見だが、はっきりした原因は解らない。詳細は、Adeladeの病院で調べるらしい。
Cedunaまで車移動、町に入る前の検疫所で果物・野菜を処分(ナッツと蜂蜜は大丈夫だった)。
Bryanが運び込まれた病院へ、みんなで行く。
病院の待合室でしばらく待たされて、Bryanとのお別れに向かう。
ついさっきまで一緒に走っていたのにな。
身じろぎしない遺体がそこにある。
死んでしまった彼を見て、現実を突き付けられた思いから、自然と涙があふれ出す。
人ってあっけなく死んでしまう。
レースは明日一日だけ中断され、明後日から再開される見込み。
こんな形でCedunaの町に入るとは、思いもしなかった。
ビーチに近いキャラバンパークの、キッチン付きキャビンに2泊することになった。
本日、天気予報では42℃まで気温上昇となっていたが、なぜか曇り空で涼しい。
・・Bryanの思いかな?
つい2日前、Nundrooでビールを飲みながらこのレースについて、
「Finish is first!」
「順位やタイムを気にするな。
フィニッシュするのが、このレースでは一番大切なことなんだよ」
と教えてくれたBryan Smith。
「6日間走」での数少ない1000kmオーバー達成者、シドニー〜メルボルンレースの優勝者、地元オーストラリアの偉大なウルトラマラソンランナー。
19時から、町中の教会で緊急ミーティング。
Davidの考えで、明日11時からキャラバンパークにて「Team Kaname」主催のBBQを提案する。
その趣旨は、一つには亡くなったBryanの家族のために寄付金集め。
あともう一つ、みんな(ランナーもスタッフも)の気持ちの整理を兼ねて。
明日、その場で今後のことも話し合おう、ということになった。
イタリアンフードのお店で、ピザ、ラザーニャを食べた。
ほぼ全員のランナーが、同じお店に集まった。
<続く>