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4つの栄養というと、通常は4大栄養素と考えて「たんぱく質」「糖質」「脂質」「食物繊維」なんかを思い浮かべますが、そういった栄養素の話ではなく、仏陀(お釈迦様)の説いた栄養管理の話になります。上記、サンガジャパン・VOL35からの抜粋ですが、昨日の「駆り立てる」の解になりそうなので、まとめました。
「ブッダの栄養学」というタイトルです。お釈迦様は経典の中では、生命が摂取する栄養を大きく4種類に分けて解説しています。そのうち身体で摂取する栄養は1種類だけ、これがいわゆる「食べ物」です。残りの3種類は心で摂取する「心の栄養」です。その4種類は、以下の通り。
①物質的な食べ物
生命の身体は物質です。身体を構成する物質の特色は簡単に壊れていくことです。止まることなく、身体の物資は身体から逃げていくので、欠けていく物質を補わないと、命も壊れてしまいます。「食べ物」として、生命は物質を補修しているのです。
②触
6つの感覚器官(眼・耳・鼻・舌・身・意)に、それぞれ6つのデータ(色・声・香・味・触・法)が触れること。触れてデータを受け取ることが「生きている」ということ。これを「触」と言います。
③意志
何かをしたいと、心に起こる衝動のこと。生き物は常に行為をします。その行為をさせるエネルギーを「意志」と言います。
④識
認識しない瞬間はないが、認識する以前の心は「識」と言います。
この中で③意志のことを考えてみます。自然に起こる意志(呼吸する・食べる)と、意図的に行為する意志(話す・遊ぶ・仕事をする)の2種類があります。そして意図的に行為する意志には「気づき」を入れるように説いています。
お釈迦様は「業とは意志のことである」と明確に定義しています。業は命を作って、維持管理するエネルギーです。その業=意志を汚さないよう、善行為して生きることに励むよう説いています。
「気づいて」「わざわざ何かいいことでもしようかな」と励むことが心の栄養になり、生きることを支えます。
自分の意志で決めたこと・行為に「気づく」。それは命の栄養であると。いままで、どう話せばわかってもらえるかと、気になっていたことの「解」がここにありました。
「物質的な食べ物」「触」「識」についても自分なりに考察してみます。