神が7日目に安息日をおいたのが(宗教的な理由があるにしても)、人間の理にかなっていると実感することになったのは、1996年のレースアクロスアメリカ。人の生命活動は、他の命を取り込むことで成り立っているので(つまり食べて身になる)、その流れが追いつかなくなるのが丁度7日目にやってくる。食べても身につかない。自分の身体を削っていく感じ。そこまで心身を使い切ることで、安息日の意味がわかった気がした(本来の意味は別にして)。そうなった時に何が食べたいかというと、即物的に「肉」でした。自分の場合は。
ランニングの6日間走もそんな意味があるのかと思う(まだ経験していないので想像)
RAAM(レースアクロスアメリカ:アメリカ大陸横断自転車レース)では、そんなことを思いながら、自転車漕いでいたのでした。
自転車を漕ぎながら、あるいは走りながら「何を」考えているのですか?という質問をよく受けるので、時々「何を」考えていたのか思い出したりしています。
もう一つ良く聞かれるのは、「なぜ」そんなことをやるのですか?なんだけれど、答えは「やりたいから」しか思い浮かばないのです。