【オーストラリア横断日記】
2001年 2月27日(火) 晴れ
Ballarat~Melton
Day53
総距離:82.0km/総距離:3538.1km タイム7:21:26
4位
なんとイギリスのBobby Brownが3位、1位はAndreiがとった!
Mihalyとラストまで並走、ゴール地点がわからずスプリントにならなかった。
山あり、谷あり、湖あり、未舗装砂利道あり、そして最後は町の中。
昨日、ポリスの先導でゴールしたアーケードの中心から、やや離れたアーケードの端がスタート地点。
このレースが始まって53日目、初めてターンシートが配られた。
今日のコースは、曲がるところが多いためか、このターンシートに加えて、曲がるところ(ターンポイント)の路面には、「小麦粉」でしっかりと白い矢印が描かれていた。「やればできるじゃないか」と今さら思う。そのお蔭で迷うことなく走れた。走りに専念できてありがたい。
街中を抜けて、農家の点在する丘陵地帯にやって来た。アメリカのニューイングランド地方を思い出す風景。
トイレに行きたいけれど、道路脇の草はきれいに刈り取られ、木立ちがあると、そこは家の前であったり、なかなかいい場所がない。我慢しつつ13kmまで走る。当然速くは走れないが、それでも前方のDusanら3人のグループは遠ざからないから、彼らもペースは速くないみたい。ようやく木陰を見つけて用足し。
トイレストップの間に広げられた前のランナー達との差を、少しずつ詰めて行く。
小さな集落をいくつか通り過ぎ、前方に2人のランナーを目視したところで、2度目のトイレストップ。これは素早く済ませ、すぐに復帰、2人に追いついた。DusanとWolfgangだった。2人共に今日はペースを落としているのか、しばらく並走した後に、先行する。
昨日、今日とどうも胸やけがするので、梅干しを一つもらい口に入れた。
コースは、鉄道の線路沿いになり、やがて未舗装の砂利道になった。10km近く続く砂利道を走り、前にMickを発見。特に追いかけるつもりはなかったが、砂利道が終わり、急な下り坂(けっこう長く続いた)で差が縮まり、Mickのさらに前を走るMihalyと2分差と教えてもらう。そこから、さらに上り(急坂)、下り(これも急坂)を数回繰り返していると、前の2人が、すぐ近くになってしまった。残り16kmくらいのこと。他のランナーが近づくと勝負モードに入る。まず、Mickを追い抜いてから、Mihalyと並走に。アップダウンを利用し、下り坂で少し差をつけて、それに続く激上りで一気に差を広げ、しばらくペースアップを続けてみた。Mihalyはしぶとく、じきに追いついてきた。ペースを落としてまた並走する。しきりに「How far to go?」と聞いてくるので、けっこう脚にきているのかな?
Meltonの町中に入り、スタッフのDonを発見、一度レースから離れていたけれど、戻って来たみたい。Donとの再会に、手と手でハイタッチ!
Donと会ってから3kmくらいでゴール。だが、ゴール地点がわかりにくく、ゴールスプリントするタイミングを逸する。ちょっとした大きさのショッピングセンターを、ぐるりと回るようにして走る。(元々出場選手だったPeter Greyが走りながら先導してくれたが、ちょっと邪魔だった)建物の途切れたところを右折、20mほど先にゴール地点に立つKawika発見。そこからショートスプリント、Mihalyに先行できた。Mihalyはフィニッシュ地点がわからなかったらしく、スプリントできず、最後ふてくされて歩いていた。
ゴール地点では、ちょっとしたフェスティバル。地元の人たちがホットドッグとビールを準備していて、ランナーはフリーで食べて飲んで楽しませてもらった。へたくそな英語でも、それなりに会話を楽しめるようになってきた。
町のプール&スパ(Kalgoorlie以来久々)を無料で使わせてもらい、1時間くらいスパのジャグジーでくつろいだ。プールにも入り、100mクロールで泳ぐ。
Melton Moter INNに泊まる。ツイン85Aussie$。
隣にあるレストランでマレーシア風のヌードル麺を食べたら、味が濃すぎてくどかった。ステーキにすれば良かった。
Davidに電話したら、「明日、お昼頃、Melbourneに行く」という嬉しい返事。
大会主催者のBernieは、数日前に「No more 80km」と言って80km以上のステージは、もうやらないと公言していたのに、今朝いきなり「今日のステージは82km」とスタート前に告げられた。いつもながら走っている側のランナー達は「かちん」ときていた。大方の予想では「多分、また80km以上のステージはあるだろう」で一致。
この日1位でゴールしたAndrei、実はゴール地点を見逃して、500m近くも余計に走っていたそう。
わかりにくかったゴール設定のことで、AndreiのサポートクルーのPeter(スロベニアのテレビクルー?かロシアチーム全体のサポートか?どちらか。ピートルと呼ばれていた)が、大会スタッフに回ったPeter Greyに抗議?したらしく、それがきっかけになり、殴り合いのケンカになってしまった。ピートルは怪我して頭を包帯でぐるぐる巻きにされていた。普段は2人共、優しいのにな。
<続く>