1997年のRAAM:レースアクロスアメリカは、自身3回目。
その前年1996年は、初参加の95年の教訓を踏まえ、オフィシャルフィニッシャーを目指すべく、一日の走行距離と食事と休憩の計画を入念に立てた上で出場しました。目標は、優勝した選手から48時間以内にフィニッシュする、オフィシャルフィニッシャー(公認記録)になること。そして目標達成!
その時点で世界のトップ選手との力関係は十分に解っていたので、次の目標を、トップゴールから24時間以内に設定しました。つまり3回目の出場は、フィニッシュした時点で(無謀にも)決めていました。
翌年の97年を迎えます。一度RAAMを完走すると、そのダメージ(主に肉体的な)から回復するのに、2~3カ月かかります。フィニッシュしてから3日目くらいまでは、ひたすら眠る・食べるの繰り返し。寝て、目が覚めたら何か食べて、正常な生活リズムに戻って行きます。その後は、擦過傷(お尻と*顎)の傷の修復、足裏のふやけた皮膚の再生、首の正常な機能への回復、手の指の開閉のスムーズ化と痺れの軽減、などなど、レースで痛めつけた体が元通りになって行きます。
*顎:顎の擦過傷は、Shermer’S Neck(首の痛みから、頭を支えきれなくなり、自転車乗車中、前方が向けなくなる状態・RAAM独自の症状の一つ)になった後、ハンドルに取り付けた顎乗せ用アタッチメントに、顎を乗せて擦れたもの。実際の写真↓
元通りに戻ってから、本格的にトレーニングを始めます。体が戻るに連れ、メンタルの方もやる気が上がって行きます。1997年のRAAMは、集大成・最終章の意気込みを持って挑みました。トップゴールから24時間以内にフィニッシュすること。
結果は?
優勝したWolfgang Faschingが9日4時間50分、櫻井要10日17時間4分、順位は過去最高の5位でしたが、トップから24時間以内には入れず。
この年はルート変更があり、テキサス州を一部通過する3039.5マイル(4863.2km)と96年より少し長くなったこともあり、10日以内にゴール出来ず、10日目を超えて、さらに半日以上自転車に乗っていました。大好きな自転車に乗るのも、この時ばかりは、早く終わりにしたいと思いつつゴールを目指していました。悔しい思いをしましたが、その瞬間はそれが目一杯だったので、仕方ないです。
コロラド州~ニューメキシコ州~テキサス州 と続くルートは、標高2000m辺りをウロウロする感じで、ずう~~と眠い・睡魔に襲われていたことが、後半になり効きました。最後ジョージアに入り、記憶が飛んでる状態(いわゆる幻覚?どこに向かっているのか・何しているのかもよく解らない感じ)が続いて、やっとゴールにたどり着いた、その時の画像が、冒頭のものです。睡眠不足と疲労と日焼けで顔がポンポンに腫れています。モンゴロイド系の特徴がよく表れています。
RAAMへの挑戦は、これで終わりです。3回もよくやったと思います。1人では、決してできなかったことが、多くの人たちの協力でできました。ここに改めてお礼と感謝を述べます。「みんな、ありがとう!」
ところが、4回目がありました・・・続きは、また。